人文科教育学
担当教員
長田 友紀 おさだ ゆうき OSADA Yuki
名畑目 真吾 なはため しんご NAHATAME Shingo
勝田 光 かつた ひかる KATSUTA Hikaru
専門研究領域の沿革
東京教育大学教育学部教育学科の教科教育関係講座の一つとして位置づけられていた人文科教育講座が、筑波大への移行にともなって教育学系の教科教育学領域の一つ(人文科教育学分野)として位置づけられ、2001年度からは人間総合科学研究科学校教育学専攻の一つに位置づけられた。「人文科教育学」は広い意味での「ことば」に関する教科教育をめぐる研究分野を指すもので、国語教育・日本語教育・外国語教育(主として英語教育)の研究分野を対象にしている。
在校生とその研究テーマ
・菊田尚人:国語科におけるふり返り交流活動の研究
・奇楽木格:課外学習者コミュニティによる日本語学習者のオートノミー育成に関する研究
・浅井哲司:字幕教材による話し合い指導の研究
・青山由紀:小学校物語創作指導における読む活動の位置づけに関する研究
・CHEN XIN:日本・中国における中学生の漢文受容に関する比較研究
・田山享子:小学校外国語教育における授業と自宅学習の連携
・佐藤彩香:日本語の意味的関連性を利用した小学生の英語語彙学習
・石原雅子:「読むこと」の学習指導における創作活動に関する研究
・高井太郎:形式と内容の止揚を目指す「書くこと」の学習指導の研究
入学者出身大学と研究室OBの勤務先
(1) 入学者出身大学、大学院
筑波大学人文学類・人間学類・日本語日本文化学類、筑波大学修士課程教育研究科、筑波大学大学院人間総合科学群教育学学位プログラム(前期)、立命館大学文学部、早稲田大学教育学部、文教大学教育学部、長崎大学教育学部、千葉大学教育学部、埼玉大学教育学部、お茶の水女子大学文教育学部、東京学芸大学、祥明大学校(韓国)、慶應義塾大学文学部、東呉大学(台湾)、彰化師範大学(台湾)、高麗大学校(韓国)、内モンゴル大学(中国)、台州学院(中国)、東北師範大学(中国)。
(2) これまでの主な勤務先
上越教育大学、岐阜大学、横浜国立大学、東京家政大学、山形大学、埼玉大学、文教大学、鹿児島大学、つくば国際大学、岡山大学、新潟大学、宇都宮大学、千葉大学、北海道教育大学、筑波大学、信州大学、島根大学、広島大学、浜松学院大学、武蔵野大学、帝京科学大学、東洋大学、シンガポール国立大学(シンガポール)、祥明大学(韓国)、深圳技術大学(中国)。
博士学位取得者
(1) 課程博士(課程博士規準)
氏名 |
研究テーマ |
取得年 |
指導教員 |
李賢珍 |
日本語の会話教育におけるコミュニケーション方略指導の研究 |
2008 |
桑原隆 |
石田喜美 |
「ピア・グループ」によるメディア・リテラシー学習の支援に関する研究 |
2008 |
塚田泰彦 |
飯田和明 |
小砂丘忠義の綴方教育における基本構造と思想 |
2012 |
塚田泰彦 |
勝田光 |
中学生の書く行為に着目した国語科における読者反応の支援 |
2016 |
塚田泰彦 |
鈴木貴史 |
初等教育における二元的書字教育論の形成過程 |
2017 |
甲斐雄一郎 |
鄭一葦 |
中国語文科におけるジャンルの研究 |
2020 |
甲斐雄一郎 |
勘米良祐太 |
旧制中学校国語科における文法教育の課題―作文教育との関連に着目して― |
2020 |
甲斐雄一郎 |
キム・ボイェ |
言語教育の観点から考察した韓国における日本語教育史-「外国語としての日本語教育」について評価する |
2021 |
甲斐雄一郎 |
(2) 論文博士
氏名 |
研究テーマ |
取得年 |
指導教員 |
滑川道夫 |
明治大正作文綴方教育史研究 |
1980 |
湊吉正 |
倉澤栄吉 |
昭和戦後期における読むことの学習指導論の展開 |
1991 |
湊吉正 |
高森邦明 |
大正・昭和初期における生活表現の綴り方の研究 |
1994 |
湊吉正 |
有沢俊太郎 |
明治前中期における日本的レトリックの展開過程に関する研究 |
1995 |
湊吉正 |
桑原隆 |
西尾実国語教育論の探究 |
1998 |
谷川彰英 |
塚田泰彦 |
読みの教育における語彙意味論的方法の研究 |
2000 |
桑原隆 |
甲斐雄一郎 |
国語科の成立過程と教科内容編成 |
2007 |
桑原隆 |
藤森裕治 |
国語科教育実践場面における予測不可能事象の研究 |
2008 |
桑原隆 |
柳京子 |
日本語音声の言いあやまりの研究 |
2008 |
塚田泰彦 |
長田友紀 |
話し合い指導における視覚情報化ツールの活用 |
2013 |
塚田泰彦 |
八木雄一郎 |
国語科における「古典」概念の形成過程 |
2017 |
甲斐雄一郎 |
森田真吾 |
「学校文法」成立過程における指導内容の生成と収斂 |
2021 |
甲斐雄一郎 |
森田香緒里 |
書くことの指導における相手意識の表出と言語的調整 |
2022 |
甲斐雄一郎 |
在校生の声
“学び続ける教師”を体現する
わたくしは現在,私立大学教育学部にて教員養成に携わっています。現職以前は,茨城県内の公立小中学校にて約20年間勤務しておりました。この間,筑波大学大学院教育研究科に在籍し,研究や自己研鑽の機会を得ましたが,大学卒業後の経歴は,児童・生徒・学生への教育活動が大半を占めます。勤続経験は自信となり,生きがいとなっていますが,一方で「教育者」としての主張が強くなり,視野が狭くなっていることを懸念しておりました。そこで,博士後期課程に在籍することで「学生」(「学習者」)の立場を自身に課しました。改めて自分の学びの甘さ,無知を知る毎日です。このような感覚は,在籍をしているからこそ自分に厳しく向き合えるものだと感じます。今後「教育者」としての人生を全うする中で,教え子たちに,そして我が子に,年齢を重ねても学び続けることの価値をわたくしから感じ取ってもらえるような存在でありたいと考えています。
最後に,筑波大学創立の1973年生まれのわたくしにとって,筑波大学で学位を修めることは,他の何にも代えがたい到達目標となっています。
(田山 享子)
「中国の国語教師からの転身」
私は中国の平凡な高校国語教師でした。中国の進学校の教師の日常(朝6時から夜10時まで生徒たちへの指導)に追われ、一生、研究とは無縁だと思っていました。しかし、大学の先生や先輩たちの推薦により、日本に留学でき、この研究室に入りました。現在私は博士論文に取り組んでいますが、研究テーマは日本と中国の中学生は漢文教育に関する比較研究です。中国でも日本でも、生徒たちは古典に対する学習意欲がわかないようにみえます。そこで意欲的に古典に取り組むための方法を開発していますが、その際、せっかく中国と日本で論語などの同じ教材を学んでいるのですから、お互いに交流しあう授業を開発しています。もちろん最初から研究が順調だったわけではありません。国語科教員から研究者への転換は想像以上に大変でした。教材・授業の研究にとどまらず、教育史・教科教育論・学習意欲論など様々な分野の知識を吸収しなければなりません。甲斐雄一郎先生や長田友紀先生から多くのご指導をいただき、また他の院生たちとも切磋琢磨しながら研究力を着実に身につけてきました。国語科の教育に興味のあるみなさんにはお勧めの研究室です。一人でも多くの方が研究室に来てくれるとうれしいと思います。
(CHEN XIN)
OB・OGの声
在校生の声
「想い」
人文科教育学研究室の院生として本質的に求められるものは、それほど多くはありません。まず大事なのは、言葉の教育に対する想いです。その想いが強ければ強いほど、充実した研究生活を送ることができます。人文科教育学研究室の研究指導態勢と学習環境は、あなたの想いを裏切りません。少しでも関心のある方は、一度研究室にお越しください。研究室をご覧いただき、先生方や院生と話をしていただければ、ここに書かれていることについて納得していただけるはずです。
(八木雄一郎、信州大学准教授)
「マージナルなものとして生きる」
研究以外のことについても言えますが、新しい「何か」を生みだすためには、その生みだそうとする本人がマージナル(=周縁、周辺)なものでなければならないと思います。しかし、マージナルなものとして生きること、そしてマージナルなものとして研究を続けていくことは、とてもつらいこと、とても苦しいことです。「誰も自分のことを認めてくれるはずはない」という気持ちに苛まされることは日常茶飯事です。それでも、マージナルなものとして生きていくこと。このことが大事なのだと思います。人文科教育学研究室は、マージナルなものとして生きることが許される場です。そして、いかにマージナルなものとして生き、研究を続けていくかを教えてくれる場であるとも思います。
(石田喜美、横浜国立大学准教授)
筑波大学で研究した方々が出版された書物の「あとがき」を読んでいると院生生活について、繰り返し出てくる内容がある。大きく分けると次の二つである。①人に恵まれる。②研究環境に恵まれる。
前者は具体的には、研究者を目指す人々、すでに研究者として立っている人々との交流が挙げられるだろう。研究室や研究分野をこえた院生同士の交流、長期研修などで筑波大学に滞在する他大学所属の研究者や小中学校などの教員との交流も、直接の指導教員との付き合いとはまた別の刺激をうける。後者はたとえば、東京から遠く静かな環境で研究できることが挙げられる。東京から遠いことに関して、在学中は不満に思うこともないではなかったが、東京で研究会などに参加したあと、移動時間の間に適度にクールダウンしたということもよく聞く話であり、私にも経験がある。
また、図書館の蔵書が豊かであり、かつすべて開架であり、開館時間も長いなどが挙げられるだろう。これほどの蔵書が開架であり、研究個室が利用できることも狭いアパート暮らしの学生には助かる。院生室にも机があり、物理的な「場」が豊かである。研究個室で疲れると院生室でお茶しながら、おしゃべりしたことで「はっ」と気が付くこともある。
このような環境に恵まれ、かなり面倒見がよい(現役の大学教員の私から見ても)指導教員がいるのであるから、ここを目指さない理由はないと考えるが、どうだろうか。
(浮田真弓、岡山大学教授)
「原点」
自分が人文科に入学したのは、もうかれこれ20年以上前のことになる。思い返してみると、人文科に入学する前(学類時代)の自分は、「言葉」について、そしてそれを「研究する」ということについて、ほとんど何も理解していなかったのではないかと思う。意識だけは高かったように記憶しているが、勉強もほとんどせず、自分が見聞きしたもののみに囚われて、いろいろなことを分かったような気になって(言葉を選ばずに書くのであれば)少しいい気にもなっていたように思う。そのような態度を改めさせてくれたのが、筑波大学の伝統と実績を体現する人文科の先生方による手厚いご指導であり、院生同士の屈託のない相互意見交流の場であった。人文科教育学研究室での様々な出会いと経験が、今の自分の大学教員としてのあり方を支えてくれていると言っても過言ではないだろう。
(森田真吾、千葉大学教授)
「探求」
最初はただただ、自分の今まで母国で受けてきた国語教育に不満があり、日本では国語教育はどうように行われているのか知りたいと思い、人文科に入りました。それから4年間が経った今から振り返ってみると、当時あやふやな気持ちが今、非常に明確な「問い」になっていることにびっくりしてしまいました。人文科の先生方や先輩方の丁寧なご指導だけではなく、ゼミでほかの方の話を聞いたり、院生たちとの雑談で研究課題について議論したりすることによって、私たちは結局、言語教育の現時点の問題を解決したいというより、「言語とは何か」、「言語教育はどう行うべきか」のような、本質的なことについて一生懸命に考え、答えを出したいと思っていることに気づきました。人文科は、このような「探求」のために充実な設備を整え、そして豊富な研究活動も展開しており、いつも新しいメンバーが新しい刺激をもたらしてくれることを期待しております。
(鄭一葦、深圳技術大学)